お久しぶりです。仕事の契約が打ち切りになった後、新たに仕事探すのはやめて、有給取って失業保険の申請もしてゆっくり過ごしてます。
ついでと言ってはなんですが、乳ガン手術から10年経ち、再発、転移も無かったので、当時の先生と相談し時間の余裕のある今、自家組織による乳房再建の手術を受けることを決めました。
自分でも色々調べたし担当の医師からもよく説明を聞いたつもりだったのですが、実際背中の皮膚や脂肪、筋肉の一部に血管をつけた状態で脇下をくぐらせて胸に移植するという5時間にも及ぶ、なかなか大変な手術でした・゚・(つД`)・゚・
コロナ対応で手術の3日前に入院して、PCRと抗体検査を済ませた後、手術当日は9時半過ぎに手術室に入りました。「手術は問題無く終わりましたよ!」と声をかけてもらったのが、午後3時頃。何か返事しようとしたけど、全身麻酔&人工呼吸器の後で、口が上手く動かず、ベッドに移された後はまた眠ってしまいました。
目が覚めたのは、午後7時半頃。ここからが大変で、猛烈に痛い!!それに熱もあって体がだるくで吐き気もするし相変わらず、口が動かしにくくうまくしゃべれない( ノД`)
口にはまだ酸素を入れてるし、背中と脇には管が入っていて傷口の痛みで左半身は動かせず。尿管も入ってるし、右手に点滴、両足は血栓予防の為交互に圧力をかける装置が付いてるという、よくテレビで見たような管だらけの姿です。
疲労感マックスなのに寝ることも出来ず時間が全く経たないのが辛い。枕元に置いて貰ったスマホを探して、右手を動かしたら点滴が外れて、手を上げたら血がポタポタ落ちてきたりもあったな。
苦しくてじっとしてられないのに、体を動かすと激痛が走るのです(大汗)手術後はナースさんが、しょっちゅう見にきてくれて体の向きを変えましょうか?とか色々気を使ってくれるけど、触られるのも辛いんだなこれが。。。点滴に痛み止めが入ってるし、錠剤を飲んでも効かず、ならばと痛み止めの座薬も入れてもらいました!
この状況で考える事は「何でこんな手術受けようと思ったんだろう・・・」という激しい後悔でした。
私の友達は同じく乳ガンの手術を受けたけど、リンパに転移してて(私は転移なして、簡単な手術で済みました)その後の抗がん剤の治療があまりに辛くて、精神的におかしくなったと言ってたけど、こんな感じだったのかな?とか、病気で人工呼吸器を付けた方が、体力が落ちてて苦しいのに、呼吸器が付いてるとドンドン酸素が送られてきて、それを止めることも叫ぶこともできず苦しくて絶望的になったとか言ってたな・・・等、人に聞いた病気の話が現実味を帯びて感じられたり「健康だったのに、こんな手術を願ってごめんなさい」と神様に謝ってみたりしてました。。。
それでも日付が変わる頃、ちょっとウトウトすることができ、朝方には恐怖だった痛みも和らいできました(T_T)熱も下がり始め、声も出るように。
お昼には、背中と脇の管以外の装置が全部取れて、手術後はあれほど苦しくて呻いてたのに何と自分の足で歩いてトイレに行けるようになったのでした!!
それからは、元の部屋に戻り、寝たり起きたり自由に過ごせたけど、背中と脇に体液が溜まらないよう、針が刺さっていて2本の管はずっと付けたままなので、ベッドに横になる時の痛みは続き夜はあまり眠れなかったです。座ったり歩いたりは問題なかったんですけどね。
でも「日にち薬」とはよく言ったもので、少しずつ回復し、術後1週間も経つと、結構動ける私は病室で過ごすのが退屈に。スマホでアマプラの映画を一日に2~3本見たり、持って行ったウォークマンで音楽や、FM聴いたり。散歩がてら一階にあるコンビニに雑誌やおやつ買いによく行ってました。
執刀医は、俳優の北村有起哉さんにめちゃ似てはる先生で、基本的に楽観論は言わない主義みたいで、手術前にはあらゆる手術の危険性の説明を丁寧受け、かなり不安になったし(確かに技術の要る難しい手術だったけど)痛みの訴えには「背中切って、組織切り取ってるし、まあ痛いよね」と同情してもらえないし「傷口からの体液がしっかり止まらないと感染症起こすから、2週間は安静に」などとおっしゃり、なかなか退院の許可が下りませんでした。
手術から10日後にやっと、「そろそろいいでしょう」と背中の管を抜いてもらえて、ようやく昨日退院の運びとなりました☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
退院後の自宅での生活には不安もありましたが、2週間の間に溜まっている用事をこなすのが大変でしたが、自宅だと自分のペースで動けるので疲れは無く、やっぱり自分のベッドで寝られるのは最高ですヽ(≧∀≦)ノ久々にぐっすり眠れたし、痛みも気になりませんでした。
今回は私のモットーである「やらずに後悔するくらいなら、やって後悔する方がまし」が揺らぎそうになりましたが、術後にはナースさんに何度も声かけしてもらったり、そばに付いてもらいましたが、不思議な事に、その時間は痛みも安らぐのよね。有り難や

ここで油断しないで、ちゃんと傷口が治るまで当分は通院しながら療養します。
※手術の前日はサッカーの対コスタリカ戦でまさかの日本敗退で幸先悪すぎでした。前倒しでBSで見た「鎌倉殿」では、公暁が鶴岡八幡宮で源実朝を斬った後に、「私は京に戻ろうと思う、園城寺なら私を受け入れてくれると思う」というシーンがあって、私ビックリ!!何故って私の病室から園城寺が見下ろせたのです!
「京と違うやろ

ここ近江(滋賀)ですから(`o´)」って叫びそうになったわ。鎌倉殿では最初の頃から源氏と縁のあった園城寺を「京の」と言ってきたけど、何でなんかな?大津市内にあるのに、納得いかん!と憤っていた手術前日でした。