ちょっと恐ろしい詩のはなし
彼ら笑う
石川逸子
「この子は手足が長すぎる」
子を食う母
朝に晩にばりばりと子の手足を食う母
血みどろの口と
慈愛の瞳
「私はお前のためを思っている
いつもお前のためを思っている」
子は逃げる
短くなった手と足で子は逃げる
母の沼 どぶどろの臭い放つ 沼から逃げようと
もがく
「誰か来て 息子が逃げる
どうかあの子をつかまえて」
髪振り乱し わめく母
したたる涙
子は取り巻かれる
おとなしい隣人たちが子を囲み
次第にその輪をちぢめてゆく
「食べられたのは僕です
流れたのはぼくの血だけなのです」
「悪いのはお前だ」「お前だ」
ぼくはぼくの手足を守らねばならない」
「それでも悪いのはお前だ」「お前だ」
子はひとりぼっち 見方はいない
大勢の手が彼をつかみ
またつなぐ 彼を その母の足元近く
「ぼくはあなたを憎む」
「わたしはお前を思っている」
「ああいっそぼくはあなたを殺したい」
「わたしはお前を思っている」
うっとりと母はささやく
微笑みながら近付き
ばりばりと子の手足をじゃぶる
子は変わっていく
朝に晩に手足を食われて子は変わってゆく
もう子は逃げようとしない
彼は静かに朝焼けをみつめ じっと一日の終わりを待つ
「わたしの息子 お前はやっといい子になった」
「彼は死んだんです 母さん」
「まあ お前ったらふざけて」
上機嫌に笑う母
俯向く子
「ごらん 実にいい風景だ」
「ええ 心あたたまる……」
遠く語りあう隣人
誰も彼も笑っていた
死んだ 或いは死にかかった 子の魂はそっちのけに
笑っていた 実にたのしげに笑っていた
「家庭の詩」(「詩のおくりもの 3」、筑摩書房刊)より
親と子の葛藤は永遠のテーマかもしれません。
私が以前お世話になった先生が「親があなたのために言っているのよ!と子供に言っている時は、99%自分自身のために言っています!」
とおっしゃってましたがホントにそうなんですよね(笑)
親の執着が愛情にすり替えられた時、子供は絡みとられて身動きできなくなってしまう……
そして、それが幼い子に向けられた時、虐待になってしまうこともあるんでしょうね。
結局、人は他人の考えを前向きに変えさせるなんてことはできない、たとえ自分の子供であっても。
変えることができるのは、ただ自分の考えだけ。
なにか苦しいことや解決したいことがある時は、自分の思い込み、執着、メモリーただを手放す。
「子供は親に課題を与えるために存在している」という方もいます。
それに気づいたとき、子供は子供の役割を終え、母親も子供が課題をあたえてくれる存在と気付いた時、インスピレーションを受け取ることができるんだと。
でも、なかなか難しいんですけどね。
あーもうこんな時間!今日は午後と夜とゴスペルのレッスン2回もあるのにー。、練習不足
でも行ってきまーす
石川逸子
「この子は手足が長すぎる」
子を食う母
朝に晩にばりばりと子の手足を食う母
血みどろの口と
慈愛の瞳
「私はお前のためを思っている
いつもお前のためを思っている」
子は逃げる
短くなった手と足で子は逃げる
母の沼 どぶどろの臭い放つ 沼から逃げようと
もがく
「誰か来て 息子が逃げる
どうかあの子をつかまえて」
髪振り乱し わめく母
したたる涙
子は取り巻かれる
おとなしい隣人たちが子を囲み
次第にその輪をちぢめてゆく
「食べられたのは僕です
流れたのはぼくの血だけなのです」
「悪いのはお前だ」「お前だ」
ぼくはぼくの手足を守らねばならない」
「それでも悪いのはお前だ」「お前だ」
子はひとりぼっち 見方はいない
大勢の手が彼をつかみ
またつなぐ 彼を その母の足元近く
「ぼくはあなたを憎む」
「わたしはお前を思っている」
「ああいっそぼくはあなたを殺したい」
「わたしはお前を思っている」
うっとりと母はささやく
微笑みながら近付き
ばりばりと子の手足をじゃぶる
子は変わっていく
朝に晩に手足を食われて子は変わってゆく
もう子は逃げようとしない
彼は静かに朝焼けをみつめ じっと一日の終わりを待つ
「わたしの息子 お前はやっといい子になった」
「彼は死んだんです 母さん」
「まあ お前ったらふざけて」
上機嫌に笑う母
俯向く子
「ごらん 実にいい風景だ」
「ええ 心あたたまる……」
遠く語りあう隣人
誰も彼も笑っていた
死んだ 或いは死にかかった 子の魂はそっちのけに
笑っていた 実にたのしげに笑っていた
「家庭の詩」(「詩のおくりもの 3」、筑摩書房刊)より
親と子の葛藤は永遠のテーマかもしれません。
私が以前お世話になった先生が「親があなたのために言っているのよ!と子供に言っている時は、99%自分自身のために言っています!」
とおっしゃってましたがホントにそうなんですよね(笑)
親の執着が愛情にすり替えられた時、子供は絡みとられて身動きできなくなってしまう……
そして、それが幼い子に向けられた時、虐待になってしまうこともあるんでしょうね。
結局、人は他人の考えを前向きに変えさせるなんてことはできない、たとえ自分の子供であっても。
変えることができるのは、ただ自分の考えだけ。
なにか苦しいことや解決したいことがある時は、自分の思い込み、執着、メモリーただを手放す。
「子供は親に課題を与えるために存在している」という方もいます。
それに気づいたとき、子供は子供の役割を終え、母親も子供が課題をあたえてくれる存在と気付いた時、インスピレーションを受け取ることができるんだと。
でも、なかなか難しいんですけどね。
あーもうこんな時間!今日は午後と夜とゴスペルのレッスン2回もあるのにー。、練習不足


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