来年の大河に興味津々です
今年は早くも梅雨入りと昨日発表されて、雨のマークがすらっと並んでたはずなのに・・・・・・台風のスピードが遅いとかで、今日も晴れてますw
先月から仕事は、気楽なアルバイト程度にしたので、時間たっぷりあるので読みたかった本を色々読んでます(*´v`)
ちょっと前は、ずっと読みたかった「夜はやさし」読んでから、しばらく F・スコット・フィッツジェラルド(華麗な成るギャッツビー書いた人)ブームがありまして、一段落した今は清少納言です!!
以前、頑張って紫式部の「源氏物語」読んだんですが、イマイチピント来なくて。。。元々フィクションですから光源氏にもそれほど興味が沸かなかったけど、枕草子は随筆の走りといわれていて、登場人物は皆実在した人ばかり!!登場人物達を調べられるので滅茶苦茶面白いです。
しかも清少納言は感性の人、思いつくまま描かれた当時の平安貴族達の素顔やら日常生活に興味津々です☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
当時の背景を調べたら、思っていたのと違って、枕草子はかなり脚色されてることもわかりました。清少納言が仕え出した、993年当時の定子は、関白で時の最高権力者であった藤原道隆の娘で、一条天皇の愛情を一身に受ける中宮。
当時の貴族の女性は、古今和歌集の内容の暗記は必須の教養でした。でも漢詩文については男性のみが嗜む教養だったけど、中関白家で育ったお姫さまの定子は、母親の高階貴子(元宮仕えのキャリアウーマンだった)からしっかり教育されていて、当時の上流階級の女性の常識を打破するような自由で知的な美人でした。そんな定子に4つ年下の一条天皇もぞっこんw
そこへ現れた清少納言も子供の頃から著名な歌人だった父から漢学を学び、この時代の最高水準の教育を受けていたので、二人の出会いによって、積極的に自己主張する優雅で機知に富んだ最先端の後宮文化が、定子後宮サロンを舞台に花開いたのです。
しかし華やかな時代は長く続かず、その3年後の995年には、定子の父であった道隆があっけなく病死すると、次の関白の内覧を受けていた兄の伊周とその弟の隆家は、叔父の道長との間で諍いが続き、ついに罪人として左遷され相次いで京を離れてしまいます。
しかもその時定子は最初の子供を妊娠して、里帰り中。定子は絶望して出家を決意する←この事を後に道長側に非難され、どんどん立場が悪くなるばかり、さらに定子の母も失意の中亡くなるという最悪の状態で定子は第一皇女を出産しました。
この定子の大ピンチの時、清少納言はどうしていたかというと、元々定子の敵にあたる道長や、側近の貴族と親しかったことから、身内の女官たちからあること無いこといわれて、ずっと里に引きこもっていたのです。
そんな清少納言に、定子から届いたのが立派な白い紙と(清少納言は常々、白い紙が大好きで見るだけで元気になると言っていた)「戻って来て」の意味を表す山吹の花びらが届く。その後一条天皇からのたっての願いで子供を連れ参内した定子、心を決めた清少納言も女官として従います。
しかし今や道長が権力をふるい、娘の彰子を中宮にと、猛プッシュする中、いくら一条天皇から寵愛されている定子も後ろ盾を無くして、身分は以前のようにはいきません。
重苦しく不安定で悲しい時期に、一条天皇の子を次々生んだ定子を後押しするため、清少納言は枕草子を書き始めたと言われています。敵対する道長に配慮して、悲しい現実には何一つ触れず、過ぎ去った華やかな中関白家の人々と定子の姿を生き生きと書き、定子の賢さや優しさを強調するため自分は道化役を引き受けている様でもあります。残念ながら、1000年に3人目の子を産んですぐ、定子は力尽きて亡くなってしまい、清少納言も宮仕えを辞しています。
なので、文章から感じられるような自信家では元々無かったし、際どい口説き文句のやり取りをした政界の中枢の貴族達とも、口先だけて、実際には親密な関係は無く、密かに交際していた歌人の藤原実方という恋人がいたらしいけど、最初にちらっと出てくるだけで、枕草子には殆ど取り上げて無かったりとか、調べると色々と驚く事ばかりなんです。
来年のNHKの大河は「光るの君」で、紫式部が主人公です!紫式部のフィクションでは無い実在した周りの人達が描かれると思うと今から楽しみです♪ 紫式部が仕えたのは道長の娘の彰子で、清少納言が仕えた定子とは父親同士が権力争いで敵対した間柄です。
清少納言と紫式部は仕えた時期が5年ほどずれているので、実際に顔を合わせて無いようですが、紫式部は清少納言のことをボロクソに書いてます。゚(゚´Д`゚)゚。 それは、家柄が紫式部の方がすっと上だったし、定子亡き後も定子&清少納言のサロンの優雅さは、いつまでも人々に語り継がれたことへの苛立ちがあったとも言われているようです。
次々発表される役者さんを見ながらワクワク
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=38621
さ~て、清少納言はと・・・・えぇ~ファーストサマーウイカだと??この人女優さんだったっけ?なんか私の清少納言のイメージとだいぶ違ってショックなんですけど(゚д゚)
やっぱり、紫式部が主人公だとそんな感じの扱いになるのかな。。。けど当時の華やかな装束とかはしっかり考察されてると思うし、定子亡き後、傷心の一条天皇に寄り添い、残された敦康親王を代わりに育てた優しい女御の彰子。ゴットマザーとなったその後の人生にも興味あるのでそれはそれで楽しみにしてます。
先月から仕事は、気楽なアルバイト程度にしたので、時間たっぷりあるので読みたかった本を色々読んでます(*´v`)
ちょっと前は、ずっと読みたかった「夜はやさし」読んでから、しばらく F・スコット・フィッツジェラルド(華麗な成るギャッツビー書いた人)ブームがありまして、一段落した今は清少納言です!!
以前、頑張って紫式部の「源氏物語」読んだんですが、イマイチピント来なくて。。。元々フィクションですから光源氏にもそれほど興味が沸かなかったけど、枕草子は随筆の走りといわれていて、登場人物は皆実在した人ばかり!!登場人物達を調べられるので滅茶苦茶面白いです。
しかも清少納言は感性の人、思いつくまま描かれた当時の平安貴族達の素顔やら日常生活に興味津々です☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
当時の背景を調べたら、思っていたのと違って、枕草子はかなり脚色されてることもわかりました。清少納言が仕え出した、993年当時の定子は、関白で時の最高権力者であった藤原道隆の娘で、一条天皇の愛情を一身に受ける中宮。
当時の貴族の女性は、古今和歌集の内容の暗記は必須の教養でした。でも漢詩文については男性のみが嗜む教養だったけど、中関白家で育ったお姫さまの定子は、母親の高階貴子(元宮仕えのキャリアウーマンだった)からしっかり教育されていて、当時の上流階級の女性の常識を打破するような自由で知的な美人でした。そんな定子に4つ年下の一条天皇もぞっこんw
そこへ現れた清少納言も子供の頃から著名な歌人だった父から漢学を学び、この時代の最高水準の教育を受けていたので、二人の出会いによって、積極的に自己主張する優雅で機知に富んだ最先端の後宮文化が、定子後宮サロンを舞台に花開いたのです。
しかし華やかな時代は長く続かず、その3年後の995年には、定子の父であった道隆があっけなく病死すると、次の関白の内覧を受けていた兄の伊周とその弟の隆家は、叔父の道長との間で諍いが続き、ついに罪人として左遷され相次いで京を離れてしまいます。
しかもその時定子は最初の子供を妊娠して、里帰り中。定子は絶望して出家を決意する←この事を後に道長側に非難され、どんどん立場が悪くなるばかり、さらに定子の母も失意の中亡くなるという最悪の状態で定子は第一皇女を出産しました。
この定子の大ピンチの時、清少納言はどうしていたかというと、元々定子の敵にあたる道長や、側近の貴族と親しかったことから、身内の女官たちからあること無いこといわれて、ずっと里に引きこもっていたのです。
そんな清少納言に、定子から届いたのが立派な白い紙と(清少納言は常々、白い紙が大好きで見るだけで元気になると言っていた)「戻って来て」の意味を表す山吹の花びらが届く。その後一条天皇からのたっての願いで子供を連れ参内した定子、心を決めた清少納言も女官として従います。
しかし今や道長が権力をふるい、娘の彰子を中宮にと、猛プッシュする中、いくら一条天皇から寵愛されている定子も後ろ盾を無くして、身分は以前のようにはいきません。
重苦しく不安定で悲しい時期に、一条天皇の子を次々生んだ定子を後押しするため、清少納言は枕草子を書き始めたと言われています。敵対する道長に配慮して、悲しい現実には何一つ触れず、過ぎ去った華やかな中関白家の人々と定子の姿を生き生きと書き、定子の賢さや優しさを強調するため自分は道化役を引き受けている様でもあります。残念ながら、1000年に3人目の子を産んですぐ、定子は力尽きて亡くなってしまい、清少納言も宮仕えを辞しています。
なので、文章から感じられるような自信家では元々無かったし、際どい口説き文句のやり取りをした政界の中枢の貴族達とも、口先だけて、実際には親密な関係は無く、密かに交際していた歌人の藤原実方という恋人がいたらしいけど、最初にちらっと出てくるだけで、枕草子には殆ど取り上げて無かったりとか、調べると色々と驚く事ばかりなんです。
来年のNHKの大河は「光るの君」で、紫式部が主人公です!紫式部のフィクションでは無い実在した周りの人達が描かれると思うと今から楽しみです♪ 紫式部が仕えたのは道長の娘の彰子で、清少納言が仕えた定子とは父親同士が権力争いで敵対した間柄です。
清少納言と紫式部は仕えた時期が5年ほどずれているので、実際に顔を合わせて無いようですが、紫式部は清少納言のことをボロクソに書いてます。゚(゚´Д`゚)゚。 それは、家柄が紫式部の方がすっと上だったし、定子亡き後も定子&清少納言のサロンの優雅さは、いつまでも人々に語り継がれたことへの苛立ちがあったとも言われているようです。
次々発表される役者さんを見ながらワクワク

さ~て、清少納言はと・・・・えぇ~ファーストサマーウイカだと??この人女優さんだったっけ?なんか私の清少納言のイメージとだいぶ違ってショックなんですけど(゚д゚)
やっぱり、紫式部が主人公だとそんな感じの扱いになるのかな。。。けど当時の華やかな装束とかはしっかり考察されてると思うし、定子亡き後、傷心の一条天皇に寄り添い、残された敦康親王を代わりに育てた優しい女御の彰子。ゴットマザーとなったその後の人生にも興味あるのでそれはそれで楽しみにしてます。
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